人は、常に豊かさの中に存在している。
今日は、だいぶ前になってしまいましたが、
わたしが自分の人生経験歴を見つめる中で気づいた、三つの恩寵のうちの一つ目
① 人は本質的なところにおいて、失うものは何もなく、常に豊かさの中に存在している。
の部分を詳しく書きます♡
(以前の記事は、下の方に貼っておきます。)
分かりやすい例になるかもしれないので、つい最近、インド聖者の弟子の方がしていたお話を一つご紹介します。
「ある時、熱心な弟子の私を 師匠である聖者が、
もの凄い怒りのエネルギーをもって、叱りつけました。
それはそれは、震え上がって何も手につかなくなるくらいの、雷の様な力と共に、怒られたのです。
私は、驚く以上に何も出来ずに、ガラスの窓がバリバリと割れ落ちていくかの様に、
作っていた物全てが次から次へと、バラバラ床に落ちていく様な感覚のまま立ち尽くしていました。
そして、どうすればいいのか、落ちた物をどう拾い集めたらいいのかを考えました。
その時ふと、自分の内側から魂の話す声が聞こえました。
「落ちていったのは、全てエゴのかけらですよ。」
・・・・・・・
私はそこで、あぁと気づいたのです。」
聖者が怒りのエネルギーをもって叱ること、これはもの凄い祝福なのだそうです。
わたしはそれについては昔聞いたことがあり、知ってはいましたが、この弟子の方のお話を聞いた時、なるほどなぁと腑に落ちました。
聖者は、弟子を叱るとき、そこには壮大な愛があるのです。
魂の周りにくっついた、エゴの声、エゴの作ったもの、エゴそのものからなる物を、全て破壊し取り崩し、その人が 魂の道を軽やかに進み、進化していけるようにしているのです。
これは、その祝福を 大きな愛として認識しているかどうかとは別に、起こっているということです。
この弟子の方の場合は、そこでその恩寵に気づかれたということだと思います。
人が、何かを足りないと感じている時も、物理的に実際何か物を失った時も、
魂にとっては大したことではないのですwww
こう言ってしまうと、身も蓋もない気がするかもしれませんが、
本質的なところにおいては、そもそも、失うものなど何もないのです。
ただ、豊かさがあり、その中に全てが包括されているだけなので、何があっても、何がなくても、何も問題ではないのです。
とは言え、人間がこれを理解するのは、シンプルであるけれども難しい。
人間が普段使っている脳では、理解の及ばないところです♡ そして、それでいいのです♡
あらゆる体験の中で、人は、
常に豊かさの中に存在しているんだ・・・
ただそれだけなんだ・・・
それは恩寵、祝福そのものなんだ・・・
そう目覚めていくのですから♡
人生は、一つ一つ、それに気づいて、思い出していく旅なのです♡
今日もありがとうございます。
(先日の元記事はこちらです。↓ ↓ ↓ )
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