やっぱり万物はコインの裏表。
今日は前回に続き、わたしが自分の人生経歴を見つめる中で気づいた、三つの恩寵のうちの二つ目
② やっぱり万物はコインの裏表で、どちらか一方の側からだけでは見えてこない。
ということについてです。
(先に大前提を書いておくと、もしコイン(万物)とは何なのかを知りたかったら、こうやってみることができるよ。という内容なので、こうしなくてはならないものではありません♡ これは絶対に、"べきもの" ではありません。)
とてもシンプルに言うとですが、物事には、ちょうどコインの裏表のように、
ある捉え方(考え方)とその反対側にある捉え方(考え方)が存在しています。
そして言ってしまえば、人間は、右を向きながら、左は向けない、
つまり、コインの表側で表を見ながら、裏側から裏を見ることはできないということです。
それが、人間が慣れ親しんでいる人間脳の、慣れ親しんでいる人間意識の限界です。
もしもそれを超えて、「コインとは何なのか。」それを探求したくなったとき、
人は、コインの表と裏を、垂直に、上から眺めてみる。という視座を見つけます。
右と左という水平軸ではなく、上という垂直軸を発見します。
その垂直軸の上側から眺めたとき、初めて、コインというのは、表と裏、
片側と反対側があるだけのもの なのだと気づきます。
どちらに良いも悪いもない、優劣もない、これらはただ、コインの構成要素である。のだと分かります。
つまり、ニュートラルポイントから眺めている視点なので、
その視座から見えるものは、何であっても、ニュートラル。ニュートラルなものの捉え方になる ということです。
そして 今の段階では、コイン、万物とは何なのかを知りたくなる理由は、
苦しみからの脱却が目的となっていることが多いと思います。
でも、本当の目的は、それも含まれつつ、決してそれだけではないのです♡
だからこそ、そこにやる価値がある♡ わたしはそう思っています。
このポイントがラスト三つ目にあたる、次回のテーマです♡
今日もありがとうございます。
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