鏡うつしについて思ったこと♡
周りは、" 自分の鏡うつし、自分自身の反映 " と言いますが、
先日友人たちと、学生時代の流行りモノの話題から、
学校、荒れていた? どうだった? という話になりまして、
住んでいる地区によって本当ばっらばらで面白かったのですが、
今日そのことをふり返っていた時に、もしやして?と思うことがありました♡
わたしは学生時代、いわゆる荒れた学校に居た経験がなく、
東京都ではありながらも、ものすごーくローカルな?ほのぼのした?校則もあってないような自由な学校に通っていました。
(世の思春期の子たちが荒れまくっている時代に、学校の落ち葉を集めて、学年総出で 焼き芋大会出来るレベル。笑)
今思うと、子供から大人へ切り替わる時期に、先生や周りの大人たちも、
飽きさせないように、熱量(情熱)が健康的な愉しい方向に向かうように、
方向つけてくれたのかもしれませんね。
(そして、子供たちも本当に純粋だったのかもしれない。笑)
それはそれとして、今日思ったことは、
確かに、荒れたりしなかったのかもしれないけど、それは、
「わたしが見ていた一つの現実だったかもしれないなぁ♡」 ということ。
学生時代もまさに、 " 自分の鏡うつし、自分自身の反映 " なのだけれど 、
もう少し付け加えると、
わたしは、そういう体験をしたかった。
ということだったのかもなと。
まぁ同じことなんだけど、
そこには少し違うニュアンスがあって、
一つは、自分の性質が鏡に映し出されている。という捉え方。
例えば、自分がすごく純粋で素直だから、世の中も、純粋で素直なものに見える。
自分が思いやりに溢れているから、周りの人がした意地悪な発言よりも、心温まる発言や行動を印象強く見ている。
という若干 受動的な要素が含まれた感じ。
もう一つは、自分が、純粋で素直な体験をしたいから、そのように見ている。という捉え方。
こちらは、前者よりももう少し能動的(自発的)な感じで、
鏡に映し出されているというよりは、自分がそのように映している(創っている)というニュアンス。
鏡に何かしら映っていることは確かなんだけど、微妙に違うこの二つ。笑
ただ言えることは、
" 自分が能動的に映しているんだ! "という認識があると、 結構なレベルにパワフルです♡
そこには、分からないまま翻弄されている自分ではなく、
どれがいいのか(何を映したいのか)を自分で選択し決断し実行する 自分自身がいるからです。
(それだとなんでパワフルなのか、その仕組みや例題などは、また書きますね♡)
今日もありがとうございます♡
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