取引をすること。をやめました♡
今日はあまり明るいテーマではないかもしれませんが、書いていきます♡
これは、ビジネスの話ではなく、所謂 恋愛の駆け引きのことでもなくw、
対人においての関係性のお話です。
子どもの頃に親から、
「お勉強頑張ったら、欲しがっていたおもちゃ買ってあげてもいいよ。」
「お手伝いちゃんとしたら、遊びに行ってもいいよ。」
「宿題したら、おやつ食べてもいいよ。」
という様な内容をいつも言われていた経験がある方は、結構多いと思うのですが、
(ちなみに、これが良いか悪いか、必要か不必要かの話では全くありません♡)
この、条件があって、何かを貰える(何かを渡すから、何かを得る。)というシステム、
どこにでも、どんなシチュエーションでも、本当に当たり前の様にあると思うのですが、
このシステムをどう捉えているかによって、
大人になってからも、すごく自分自身を縛るものにもなるなぁと感じました。
例えばこれが、
会社に勤めて、一定の労働力を提供して、一定額のお給料を得る。
とお互い契約に納得し合意している場合、
(例えなので、ここでは、不当なケースは考えていません。)
当たり前に、自然なこと(何かを提供して、何かを得る。)に見えるし、
宇宙の自然な循環法則(それで完結している循環)だと思います。
でも、子供と親の関係のときのケースで、ついでに言葉をひっくり返してみると、
「お勉強頑張らないなら、おもちゃはあげません。」
「お手伝いしないなら、遊びにいかせません。」
「宿題しないなら、おやつ食べさせません。」
ん?強迫?なんの取引?みたいな・・・
この違い(違和感)はどこからやって来るのか。
これが、今回のテーマ。
わたしの場合、最近まで、親が何か頼みごとをしてくるときに、
いつもではないのですが、
" 要求 "されている様に感じ、怒りがこみ上げることが時々ありました。
大体は、こちら側の予定や状況を全く考えずに、自分の都合だけを言って来るときに、
(自分からはそう見える、その様に感じるということで、相手からすると、無理ならいいの〜くらいの軽いものだったりするかもw。)
イラっと、モヤっとしていました。www
この 要求に対して応える。という意味での、" 取引 "をやめることにしました。
そもそも、私自身が苦しく感じるのは、
①この取引システムを使っているから。
このシステムは、幼い頃(応えないと生きられない。)に学んでしまっているので、人生で無意識に使っています。
②要求されている。と捉えているから。
この取引システムを採用することにした幼児期は、対大人なので、力の強い者が力が弱い者へ支配する形のやり方になり、どうしてもそもそもがフェアではなく、
潜在的には、弱い立場での" 要求されている。"(被害を受けているという様なニュアンス)の発想が生まれます。
そして、この強い立場に屈するという認識が、辛さ、痛み、苦しみとなり、
わたしの場合は、それらが怒りとなって表現(反応パターン)されていたのだと思います。
③なんやかんやで、要求に応えているから。
これは、システム上、応えないと生きていけないので、結局のところ、応えるしか選択肢がないというのが現実です。
これらが要因だと認識したので、取引をやめる。システムを使うこともやめる。
捉え方を変え、要求に応えるという形ではない形で行動する。その様に変えました。
これは、本当に見極めが難しいと思いますが、
何かを提供して、何かを得る という循環法則に委ねている形と、
何かを奪って、何かを得る という一方的な強引さのある取引 は、
大元が違っていると捉えてみると、自分の行動がとってもシンプルになったりします。
わたし自身はこのことに気づいて、対人の関係性の一つ一つが、もの凄く楽になりました。
頼まれごとをに応えなくても、ただの選択なので、
やってもやらなくても、どの様にやっても自分側の自由。
罪悪感を持つ必要もなく、至らないと自分を責める必要もなく、
相手への思いやりを忘れずにいたら、自分側で問題になることはありません。
仮に相手が不服だったとしても、それは相手の自由選択(自由意志)の管轄なので、
自分が踏み込む場所ではありません。
ちょっと厳しい口調だったかもしれませんが、
やめるときは、スパッとした強いエネルギー、大事です♡
そして逆になんだか、ほっこりした♡
今日も本当にありがとうございます。
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